■得月院について

 稲荷山得月院は1600年前後に開基したと伝えられ(開基の年については複数の説があるため特定できません)る曹洞宗の古刹です。明治35年の秋の暴風雨で本堂が倒れ庫裡を移転して本堂に改築しました。しかしその後大正2年に本堂のわらぶき屋根に煙火(花火)が落ち、伽藍(がらん)が全焼してしまいました。
 現在の本堂は大正11年夏に再建されました。大正13年4月13日におこなわれた本堂庫裡廊下再建竣工入仏式に現在の本堂の扁額「得月禅院」が小川芋銭から奉納されました。 (一部 鈴木光夫著『得月院詩』より抜粋)




得月院五輪塔
 五輪塔は、得月院開基妙尼(当時の牛久城主由良国繁の母で文禄3年(1594年)に死去)の墓碑で、本堂裏の墓地の一角に建っています。
 五輪塔は下から四角・円・三角・半円・如意珠形の五輪を積み上げ、それぞれ『地』・『水』・『火』・『風』・『空』の五大を表していますが『風』の部分は欠けています。各輪に1字ずつ梵字が刻まれています。高さは116.5cmです。

閻魔堂(閻魔王座像)
入り口付近の左側にあります。
 像は像高1mの木彫りで、宝永4年(1707年)に大崎三兵衛から寄進されました。

 牛久市指定天然記念物の榧の木は500年を超える樹齢にもかかわらず元気な姿を見せてくれていますが、もうひとつの牛久市指定天然記念物の椎の木は枯れてしまって切倒されてもうみることができなくなってしまいました。芋銭の『樹下石人談』では椎の木の元気な頃の姿が描かれています。

 本堂庫裡再建記念碑
 入り口付近の右側にあります。
 大正11年(1922年)夏の本堂再建及び大正12年(1923年)秋の庫裡の再建を記念して昭和9年(1934年)建てられました。
 碑の正面上段には芋銭書の扁額が刻まれ、下段には金竜寺第39世文山駿道大和尚の文字が書かれています。


【得月院データ】

所 在 地 : 茨城県牛久市城中町258
問合せ先:
見学時間: 午前9時〜午後3時
備  考:



■芋銭の散歩道

芋銭の墓(昭和18年建立)
1868(慶応4年)〜1938(昭和13年)日本画家。江戸赤坂に生まれる。本吊は茂吉、別吊は草汁庵、莒飡など。

芋銭の妻こうの墓

榧(かや)
得月院の境内にある樹齢500年以上といわれる幹の周囲が約5mの大木。この木は芋銭の傑作「樹下石人談(1919年(大正8年))」のモデルになったといわれています。
(昭和58年 牛久市指定天然記念物)

扁額「得月禅院」
大正2年に本堂が全焼しましたが、大正11年に本堂が再建され、大正13年4月13日に入仏式が行われた際に芋銭が得月院に奉紊しました。
材質は欅(けやき)で縦59cm、横1m67cm、厚さ4cmです。

火中蓮華
小川芋銭著






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