牛久の地に陸前浜街道(現在の国道6号線)が通り、宿場には旅籠や茶店が並び、人々の往来で賑わっていたころの話です。
村に彦右衛門という屈強の農夫がいました。たびたび起こる河童の悪事(沼で水遊びをしている子供を溺れさせたり、畑のキュウリを食べてしまったり、魚採りの網を切ったり
など)に彦右衛門は怒り、あるとき大変な格闘の末に河童を捕まえることができました。河童は村中を引き廻され、沼辺の大きな松の木にうしろ手で縛られ、三日三晩さらしものにされました。
暑い夏の日差しで河童の皿の水はみるみる干し上がっていきました。
日増しに元気のなくなった河童はとうとう四日目の朝に村人に泣きながら詫びました。「これからは一切の悪さはしません。」「今までの罪ほろぼしにお百姓さんの役に立ちます。」というのでかわいそうになった村人たちは河童を沼へ放してあげました。
以来、畑のキュウリも荒らされることなく、沼で水浴びをしても溺れることなく、そればかりか沼の周りの余計な水草や、葦を
刈って積み上げておいてくれました。
そのときの河童が縛られた松が「カッパ松」と呼ばれみんなから親しまれるようになりました。
(牛久市立図書館刊『河童松』より抜粋) |